おはようございます。ここ数日、阿蘇地方には雪が降っています。標高約650メートルに位置する我が家の周囲は一面の銀世界。
昨年の3月末から始めた山の家での暮らし。今回、初めての冬を過ごすにあたって秋くらいからかなり戦々恐々としていました。ここは夏にエアコンがいらないくらい涼しい、いわゆる避暑地です。冬の寒さはとんでもないことになるんじゃないかと。
ただ、戦々恐々とはしつつも、顔は笑っていました。だって、そんな自然現象を感じたいからこそ田舎暮らしを望んだのですから。
昨晩はこの冬一番の寒さということで、夜の外気温は-10℃。朝起きてすぐ部屋の温度計を見たら-1℃でした。
それでもまぁストーブ焚いてればあったかいし、そんなにビビるほどのこともなかったなという感じです。まだこれからもっと寒くなる可能性もありますが……。
県外への一時避難を即断
テントや毛布などを車に積み込んでいると、Aさんが戻ってきた。表情が深刻だ。
「中岳(阿蘇山)が小噴火したみたいです。これは別に地震とは関係ないいつもの噴火だとは思うんですが、余震や山崩れも怖いので、僕は家族を県外へ避難させます」
目と鼻の先に見えている中岳を見上げると、噴煙も見えないしむしろいつもより静かに思える。しかしここは火口から直線で4kmしかない。火砕流に襲われるとは思わないが、噴火が続けば大雨に降灰、土砂崩れで道が塞がれて孤立してしまう恐れもある。日没を待って避難するつもりだったが、予定を早めた方がいいかもしれない。
……いや、別に最寄りの指定避難場所じゃなくても、アテがあるなら遠くへ避難すればいいのか。幸いにもガソリンは満タンにしたばかりだ。
荷物を積み終えて妻に告げる。避難所ではなく、妻の実家がある山口県宇部市へ逃げようと。
13:30。
避難所にテントと寝袋、毛布を置いていく。必要なら使ってくれればいいし、不要なら邪魔にならない場所に置いといてくれれば後で取りに来る。
携帯は相変わらず圏外なので高森警察署で道路状況を聞くと、現時点で北九州方面へ抜けるには高森峠を越え、山都町から国道218号で美里町、宇城市から3号線を北上するルートが唯一だと教えてくれた。救援車両も同じルートを通っているとのこと。
桜の花がまだ残る高森峠を登り、高森峠隧道を抜けてしばらく走ったところで、携帯電話のいろんな通知音が立て続けに鳴り始めた。電波を受信できるところまで来られたようだ。
昨夜から溜まったLINEやらFacebook、ショートメール、電話の着信通知などが100件超。携帯電話が物理的に壊れるんじゃないかという勢い。
車を路肩に停め、皆にとりあえず無事であると返信。集落の区長さんにも「県外へ避難します」と伝える。

いつもの散歩道
平成28年熊本地震:『前震』
4月14日(木)
朝。
南阿蘇村の自宅から俵山トンネル〜西原村〜益城町を通り、熊本市東区のとある自動車修理工場へ。
この工場は高校時代の後輩が営んでいて、中古のジムニーの納車整備を依頼していた。車検は明日の予定なので、来週には納車できるとのこと。コーヒーを飲んで雑談。
「あ、オイル缶の空いとるやつある?」
「ありますよ。ロケットストーブ作るとでしょ。んなら2個ですね」
「いや、今のシングルタイプのやつをバージョンアップするけん、一個でよか」
オイル缶をもらって帰路へ。
国道57号線で大津町から南阿蘇村へ。
途中、立野のおべんとうのヒライでダブル海老天肉うどん390円を食べる。早めの昼食。阿蘇大橋を渡り河陽地区を通るいつものルートで自宅へ向かう。
昼。
高森町のコメリに立ち寄りパーライトを一袋購入。土壌改良剤だけどこれはロケットストーブの断熱材として使うもの。
自宅へ戻り、ロケットストーブの改良作業。20分ほどであっけなく完了。軽く燃焼実験をする。いい感じ。
夜。
仕事を終えた妻が帰宅。今夜はロケットストーブで遊びたいので外のデッキで焼肉をやろうと提案。
焼肉のほか、冷凍庫にあった餃子をスキレットで焼いてみたりして楽しむ。
21:30頃。
食事を終え、ウイスキーを飲みながらスキレットとダッチオーブンの手入れをしていたら、揺れた。
後にこれが《平成28年熊本地震》の前震であると知らされる。

毎朝の散歩コースです
《田舎暮らしハイ》で「家の目の前の森にシカがいる!」だの、「散歩が楽しい!」「星きれい!」だの浮かれた言葉ばかりで、具体的にどうやって田舎暮らしを始めたのかお伝えしていませんでした。
始まりは東京都練馬区に住んでいた2012年11月、
「5年以内に田舎暮らしを始めるぞ!場所は阿蘇山の麓!」
という目標を掲げ、このブログを立ち上げました。
まずは家族の説得から
私は妻と二人暮らし。子供はいないので妻の同意さえ得られればそれでいいのですが、元々お互いに自然とかアウトドアが好きだったので、「阿蘇山の近くに引っ越さない?」と提案したら「いいね!」と簡単にクリアできました。
とはいえ、妻は生まれてからずっと都会でしか暮らしたことがなく。いきなり山の中というのもあまりにハードルが高いんじゃないかと思いました。環境の変化に耐え切れず「やっぱり都会に帰りたい」となってしまっては元も子もありません。
そこで、田舎への移住を二段階に分けることにしました。